<ピンクの噴水事件>
あれはそう、小学校4年の冬。
当時、娘の小学校には理科専門の先生がいらして、『ピンクの噴水実験』をやりましょうという話になった。
今思うと、おそらくアンモニアの噴水実験と思われるその実験は、主に中学校でやる。小学生が体験できる機会は少ないそうだ。
実験が好きな娘も、指折り数えながら当日を待っていた。
迎えた当日、仕事から帰ると目を泣きはらした娘がいた。夜九時前だったと思う。
同居の母に聞くと、どうやら、帰宅してからずっと泣いていたようだ。
そして、かなり思い詰めていた。
何でも実験の途中で男子がふざけて、アンモニアをこぼしてしまった為、娘のチームは実験失敗。
いや、失敗というより、はなから実験ができない状態になってしまったらしい。
これが、かねてから溜め込んでいた、娘の負の感情への、大きな引き金となった。
やりきれない。と娘は泣いた。「こんな生活はもう嫌だ」と。
「ふざけて良い時は、ふざけてもいい。でもやるべき時は本気でやる人たちと同じ学校に通いたい。こんな生活はもう嫌だ」と。
正義感は昔から強かったが、普段はおっとりしていて、感情的を剥き出しにしたり、環境の変化をのぞむことがなかった娘にしては珍しいことだ。
何より一歩も引かないのだ。
何より一歩も引かないのだ。
「まず区内で皆とは違う中学校へ行くという手段があるよ。でも、男子はどこの公立中でもそれほどは変わらないと思う。」
「もう一つ、受験して全く違う学校へ行くという方法があるよ。でも、今からでは間に合わないかもしれない」そう話した。
「もう一つ、受験して全く違う学校へ行くという方法があるよ。でも、今からでは間に合わないかもしれない」そう話した。
「間に合わないっていうのは可能性もゼロということなの?」
「どこにも合格できないの?私はどんなことでも頑張る」と娘は食い下がった。
「ゼロではない、頑張ってみてそれでも合格できなかったら、今のままの中学校へ行くこともできるから。ただ、受験には手遅れかもしれない。」そう私は答えた。
ほぼ即答で「私受験したい」と娘が言った。これが私達の受験生活の始まりだった。
今思うと、娘は何時間も思いつめながら私を待っていたのだ。
それに対し、最初の返答となった私の発言は極めて重要だった。
にもかかわらず、浅かったと思う。母親として不十分だったとも思う。
いくらでも答え方はあったではないか。
でも、この時の私は、今後の2年間、私が話したこのひとことで、どれほど生活が変わるかなんて、予想もできなかったのだ。