<初めての早稲アカ面談2>
先生は続ける。
「Mともよく話したのですが・・・」
「はい。」身を乗り出して答える。
苦言以外に、何かあるだろうか。
そうだ、娘のような生徒の場合、補う為のオプショナル講座があるのではないだろうか。
それならそれで、すぐにでも通わせたい。
少しだけポジティブになる。
先生が続けた。
「Mと話した結果、満月さんは、一つ上のクラスが合っているのではないか、という話になりました。」
隣のM先生も大きくうなずく。
え?予想外の展開に、びっくりして目を見開く。
「実際に組分けテストの偏差値も伸びているのですが、授業の反応、小テストなど、複数の点から見て、一つ上のクラスが合っていると判断します」と。
今日は、100%、苦言覚悟でのぞんだ。
何も知らずに、あちこちで壁にぶち当たり、その都度、現実を思い知らされてきたのだ。
何も知らずに、あちこちで壁にぶち当たり、その都度、現実を思い知らされてきたのだ。
散々痛い目に合い、すっかり弱気になっていた。
突然、堰を切ったように、涙があふれだした。
信じられない程、大量の涙が出る。
信じられない程、大量の涙が出る。
父が亡くなった時も号泣したが、それとも違う。
別に声を荒げるのでも、しゃくりあげるのでもないのだが、目から流れる涙が止められないのだ。
結局、その後2年間の受験生活で、後にも先にも、こんな風に涙が止まらなくなったことはなかった。
「先生方のお陰で、」何とか声を絞り出す。
「ここまで来ることができました」と、伝える。
私は何を言っているのだ。
メダルを取った選手の記者会見じゃあるまいし、頓珍漢な発言だ。
しかし、本音だし、それ以上の言葉が出てこない。
15分経っても、涙は止まらない。
私があまりに号泣するので、ついには、先生の目にも、うっすら、もらい泣きの涙が浮かぶ。
Y先生が微笑みながら、おっしゃった。
「お母さん、まだ合格発表じゃないですよ。スタートしたばかりじゃないですか。これからですよ」と。
私にとって、この1ヶ月半は、地獄だった。
仕事の山だけでも、限界だったのに、それに受験の未習単元の山という、もう一つの大きな山が現れたのだ。
仕事の山だけでも、限界だったのに、それに受験の未習単元の山という、もう一つの大きな山が現れたのだ。
今思うと、精神が崩壊寸前だったのかもしれない。
どちらも一ミリも気を抜けない状況が続き、睡眠時間も極限まで減っていた。
自覚していた以上に追い詰められ、ギリギリのところに立っていたのだ。
先生方はママ塾の存在をまだ知らない。
この1ヶ月半で、未習単元をほぼカバーした話もできていない。
だからこそ、この展開は、予想していなかったのだ。
結局、この日も、そこまで話せなかった。
しかし、受験勉強を始めて、初めて人に認められたのだ。
あんなにクラスアップにこだわった事がどうでもよく思えるほど、認められたことの方が嬉しかった。
環境変化に耐え得る土台を作る為、もう少し、先生方の元に居させて頂きたい旨を伝え、クラスアップは2月からになった。
私はこの日を忘れない。
この先2年間で最も泣いた日。ある意味、一つのゴール。
この時があるから、今がある。
今でも、この時の自分を誇りに思う。