不屈の闘志 -娘と私の2年間 偏差値35からの中学受験-

鬼が出るか蛇が出るか。唐突に中学受験をすることになった母と娘。偏差値35から偏差値62。紆余曲折2年間の回顧録

職場の方から学んだこと。一日1コミュニケーションを取るのだ。「すぐ側にいる」事を知っていただく。

<1日1コミュニケーション>

 
以前の会社で「上司とは、『1日ワンコミ』を心がけているんだよね。今日の1コミしに行ってくる」と言っている方がいた。

毎日必ず、上司と一回は会話をするように心がけているのだそうだ。
 
仕事上必要な、ホウレンソウと呼ばれる、報告連絡相談する事項が特になくても、とりあえず1回会話をするようにしているらしい。
 
デジタル化している世の中だからこそ、顔を合わせて会話することは重要になるのかもしれない。
 
毎日ワンコミ活動をしている甲斐があって、その方と上司との関係は極めて良かった。
上司から信頼されており、はたから見ていた私からも勉強になった。

私は最初のきっかけを待っていた。
きっかけは国語の先生だった。
ある日の授業後、娘と一緒に先生も部屋から出ていらしたタイミングがあった。
 
娘が小声で言う。
「国語のY先生だよ」
すかさず、私も挨拶をする。
 
「いつもお世話になっております。満月の母です」
やっとご挨拶ができて、私も嬉しい。
 
この日から、先生はお会いすると、話をしてくださるようになった。
「満月は授業中こうですが、ご自宅ではどうですか」とか
「今日満月は良い点数を取って喜んでいましたよ」とか、まさに求めていた形だ。
 
先生もお忙しいので、本当に一言ではあるものの、コミュニケーションが取れるようになった。
 
狭い部屋なので、その様子は、他の先生からも見えていたのだろう。
少しずつではあるものの、他の先生方からも認知し始められた様だ。
 
他の先生方と目が合うことも、少しではあるが会話することも日増しに増えていった。
嬉しい変化だ。
 
Y先生は話易い雰囲気を持つ先生でもあったので、こちらから相談することも多くあった。
「先生、〇〇の件、どうしたら良いでしょう?」とか
「先生、〇〇がうまくいかないのですが」といった感じだ。
 
今後改めて書くが、順調だったはずの国語は、今後娘にとって、厳しい展開になっていった。
今思えば、この時期、先生ときちんとお会いし、話せる環境を作っておけたことに、結果としてかなり救われた。
 
生徒から大人気の算数と理科のH先生は、多忙すぎて親からちょっとした相談をする隙を見つけにくかったこともある。
国語のY先生の癒しの雰囲気で、私の精神状態は随分と救われた。
 
その他の科目の先生にも、ベンチでお見掛けした時に挨拶をした。
 
先生が教室から出入りする時には、本からも顔を上げて、どの先生か頻繁に確認し、ほんの少し会釈をした。
押しつけがましく、邪魔にならないようにも配慮した。

通常であれば、早稲アカの先生とは、保護者会の前後か、個人面談でしか先生と顔を合わせて話す機会はない。
 
ここで、地道にコミュニケーションを取っていたことは、最終的に大きな助けとなった。
 

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