<生活の変化>
不法侵入の事件は、娘にショックをもたらせたが、一番は、私の態度に驚いた様だ。
「ママがあんな風に、人に手を広げて立ち向かうなんて思わなかった」と何度も言っていた。
「ママがあんな風に、人に手を広げて立ち向かうなんて思わなかった」と何度も言っていた。
怖かったけど、ママがいて良かった。そう何度も言っていた。
確かに、普段の私の性格でいうと、しゃがみこんだり、黙ってしまったり、逃げてしまったりするかもしれない。
正直、自分でも無意識の自分の行動に驚いた。私も母親だ。
娘を守ろうとしたら、これくらいするものなのだなと、客観的に自分を思った。
しかし、事件は、不法侵入だけでは終わらなった。
今から考えると、この時は、私が仕事を辞め、家庭環境が大きく変わったことで、溜まっていた膿が吹き出たような時期だったのかもしれない。
いくつかの事件が度重なって起こった。
それまで小学校は、心配する程、深刻な問題は聞いたことがなかったが
4月に着任したばかりの担任の先生が、1か月後の5月に突然休職されたり
それにより、男子が、めちゃくちゃな噂や嘘で、誰かを揶揄って傷つけたりする日々が続いた。
4月に着任したばかりの担任の先生が、1か月後の5月に突然休職されたり
それにより、男子が、めちゃくちゃな噂や嘘で、誰かを揶揄って傷つけたりする日々が続いた。
それだけではない。
女子同士も常に穏やかではなく、誰かの靴がなくなったこともあった。
靴の件は、学校にカメラが付いていることもあり、最終的には、隠した本人が、打ち明けて終わったそうだが、関わったメンバーから考えると、おそらく受験がらみだろう。
全体的にクラスの皆がイライラしている状態にあり、穏やかではなかった。
仕事を辞めて、受験と志望校に集中しようとしていた私だったが、慌ただしく母親としての対応に追われた。
娘の話を聞き、先生から電話があれば、学校へ飛んで行く日々が続く。
不法侵入の一件から、娘自身がナーバスだったので、塾へ送るだけではなく、スイミングのバス停までも送っていくようになった。
まだまだ仕事モードから抜けたばかりで、体力があったことが不幸中な幸いだ。
あまり感情にならずに、淡々と行動できた。
ママ塾で、思うような活動ができなくても、ストレスが溜まることもなかった。
ただただ、慎重に冷静に事が落ち着くのを待った。
娘のメンタルが一番心配な時期だった。塾も学校も大変だろう。
娘には「学校へ行きたくない日があれば、素直に言ってほしい。」
「塾に行きたくない日があれば、それも教えて欲しい」と伝えていた。
「塾に行きたくない日があれば、それも教えて欲しい」と伝えていた。
しかし、学校で何かトラブルがあればあるほど、違う学校へ行くのだという意思が強くなっていったように思う。
これを機に、娘は受験に対して一層熱心になっていった。
「絶対に受験に合格する。絶対に違う学校へ行く」と言うことが多くなったし、
「普通に勉強して、メリハリがある中学生活を過ごす」と言うことも多くなった。
新小5の組分け、不法侵入、学校のトラブル、そんな膿を出し切った小5の1学期だった。
受験生活において、ピンクの噴水事件以来、第2回目の娘の転換期となったのであった。
受験生活において、ピンクの噴水事件以来、第2回目の娘の転換期となったのであった。