不屈の闘志 -娘と私の2年間 偏差値35からの中学受験-

鬼が出るか蛇が出るか。唐突に中学受験をすることになった母と娘。偏差値35から偏差値62。紆余曲折2年間の回顧録

小5の夏。組分け後。天国から地獄へ。台風一過で最も被害を受けたのは、他ならぬ私だった。

<組分け当日>

娘は帰宅するなり私のところに飛び込んできた。
抱き留めると、声を上げてウォンウォンと泣き始めた。

 

嗚咽が激しくて、とても状況を聞ける状態ではなかった。

幸せから突然起こった展開に、私もついて行けず、
話せる状態になるまで、静かに背中をさすった。

 

嗚咽しながら
「もう駄目だ・・・」「もう、私駄目なんだ・・」と繰り返す。

 

上手くいかなかったことは間違いないようだった。
辛抱強く待つ。

 

やがて、
「算数の時・・・」とか
「お腹が・・・」と、途切れ途切れに言い始めた。


ようやく話せるようになったのは、それから1時間後だった。

 

発端は、今朝の腹痛の様だ。

お腹を下すピークが算数の試験の時に来てしまった。

 

娘としては、どうしても途中退出したくないので、

頑張ってトイレに行くのを我慢した。

しかし、座っていることで精一杯で、痛みと冷や汗で、

思うように集中して解けなかったと言う。

 

算数後、下して落ち着いたが、

気合を入れていた算数の結果がショックで放心状態になり、

他の科目は記憶にない。

自己採点もしたくないという事だった。

  

背中をさすりながら話を聞く私も、途中から涙がこぼれた。

 

一通り話した後、娘は母のところへ話しに行ったので、

私は寝室にこもって泣いた。

 

正直言ってやりきれなかった。
納得いかなかった。

 

『志望校判定でも、ずっと合格判定。

過去問の成績も良く、この学校は合格できる、

そう誰もが信じていたのに、まさかの不合格になってしまった』

そんな気持ちだった。

 

天国から地獄。

嘘でしょう?何かの間違いでしょう?という気持ちが否めなかった。

 

どうして今日なの?

どうして他教科も?

腹痛ってそんなに?

 

今思えば、この時の私は未熟だった。

まずは、一緒になってショックを受けていないで、

毅然として受け止めてあげるべきだった。


何より『娘の腹痛問題』に対して、

この時は深刻な問題だという事を理解できておらず、覚悟が足りなかった。


「お腹が痛くてできなかった」という言い訳は、

子どもがよく使うものでもあるので、

まだ100%信じてあげられていなかった。

 

自分とは違う娘の体を理解しておらず、

そのうち治るだろうと簡単に思っていたのだ。

 

そして、「勉強すれば、すぐに結果が出る」と思っていたし、

いざという時に力が発揮できるものとも思っていた。

 

この夏、努力したのは、娘だけではないことを考えてもみなかった。

 

いくら夏の間頑張ったとしても、勉強を始めて、まだ半年と少し。

だから長い目で見なくてはいけないことも忘れていた。

 

まだ10歳の子どもだ。

上手くいかない科目を引きずり、

先に進めなくなる可能性が十分あり得ることも

わかっていなかった。

 

しかし、それら全ては、『今だから言えること』だ。

 

この組分けテストで受けたショックは、私に最大の爪痕を残した。

夏の疲れもどっと出た私は、何が起こったか理解できず、

ここから一週間、ショックで立ち直ることができなかった。

 

娘の前でこそ見せないようにしたが、

塾弁を作る時も、コピーする時も、

油断をすると涙が出てしまう日々が続いたのだった。

 

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