不屈の闘志 -娘と私の2年間 偏差値35からの中学受験-

鬼が出るか蛇が出るか。唐突に中学受験をすることになった母と娘。偏差値35から偏差値62。紆余曲折2年間の回顧録

小5の夏。組分けテスト後の私。

<組分け後の私>

 

組分け後の一週間は、苦しくて、ほとんど記憶にない。

記録を読むと熱を出して体調を崩しており、

かろうじて朝のママ塾をし、塾弁当を作って、送り出す生活だったようだ。

 

私は自信を無くしていた。
仕事を辞めて、全集中して娘のサポートに入って5か月。

 

仕事を辞めた分、そろそろ結果を出さなくてはいけないと

自分自身で精神的に追い込んでいた様に思う。

 

夫から苦言を呈されたわけでもないのに、

上手くリードできない自分を、勝手に自分で責めていた。

 

自分が試験会場に行けないことが、こんなにもどかしいとは思わなかった。
一緒に勉強して、一緒に走って来ても、
試験会場の入り口までしか入ることができない。

 

お腹が痛い時、代わってあげることもできない。

 

テストが配られた時、側で「この問題、あれだね!」という事もできない。

 

素早く問題に目を通し、解く順番を考えたり、

緊張を受け止め、配られたテストを読み、解いていくこともできない。

 

それが辛かった。

 

私は国語が大好きだったのだが、娘は違う。

 

国語が苦手なことも、今思うと大きかったと思う。

どの科目も当たり前だが、日本語を使って書いてある。

 

読むのに時間がかかる娘にとって、限られた時間の中で

問題の意図を理解して、解くことは、大変な負担だったに違いない。


私は短期集中型だが、娘は違う。

 

この頃の私は、

そういった「娘は娘。私は私。全く違う別の人間」という事を

頭ではわかっているものの、

まだまだ割り切って考えられなかったのだと思う。

 

ついつい自分の尺度で考え、

プランを練ってしまい、悲しんでいたのかもしれない。

 

当時を振り返ると、こう思う。
夏を頑張ったことは事実だし、

予想以上に充実した勉強時間を取れたことも事実だ。

 

私も娘も、この上なく頑張って充実した良い夏を過ごせたのだし、
結果が組分けテストの数値として表れることはなかったが、

十分すぎるほど頑張った。


有難いことに、レベルアップのテストには数値として表れ、

二人で喜びの舞いまで踊れたのだ。

 

十分じゃないか。

 

「夏休みお疲れ様。よく頑張ったね。お疲れ様」と、

娘にも、当時の私にも言ってあげたい。

 

そして、

「結果がすぐに出るタイプと、時間がかかるタイプがいるんじゃないの?」
「違う人間なのだから、アプローチの仕方も違うんじゃないの?」

とか

 

「大丈夫だよ。もう少し長い目で見てあげて」

「大切なのは、あの勉強に向き合う姿勢と、情熱だよ」

そう言ってあげたい。

 

しかし、この時の私は孤独だった。
誰にも相談できず、一人で抱え、完全に闇の世界に入っていた。

 

 

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