不屈の闘志 -娘と私の2年間 偏差値35からの中学受験-

鬼が出るか蛇が出るか。唐突に中学受験をすることになった母と娘。偏差値35から偏差値62。紆余曲折2年間の回顧録

小5秋。進まなくなる理科。どうやって抜け出したら良いのだろう。自分の不甲斐なさに悩む。

<理科について>

志望校判定テスト後、改めて理科について悩んでいた。

 

不思議なものだ。
今だったら、間髪入れずに早稲アカに電話し、先生に相談すると思う。

しかし、その頃は考えつきもしなかった。

なぜなのか分からない。

 

私はそもそも、人と話すことは苦手なタイプではない。
仕事でもよく人と接してきたし、電話をすることも、
面と向かって話すことも、抵抗なかった。

 

にもかかわず、この頃は対塾の先生となると、

まだ遠慮がちで、躊躇していた。

 

どうやって機会を作ろう。

次にお会いできる機会は保護者会の後だろうか。

そんな風に、「改めてお会いできる場」で話す機会を、当時は考えていたのだ。

 

しかし、同じことを考えていらっしゃる親御さんは大勢いる。


保護者会の後で、先生と話すには列ができていて

ゆっくりと相談する時間はない。

やはり、普段から先生とコミュニケーションを取ることの方がずっと良いのだ。

 

ある日のことだ。

娘が理科について分からない問題があるというので、教えていた。

しかし、何度教えても娘は腑に落ちない。

うーんと唸って、「意味わかんないよ。この問題」と言う。

 

穏やかに何度も説明するが、徐々に娘がキレてくる。

そういう時は、私が娘が理解できるレベルにかみ砕けるレベルまで

理解できていないことが多かった。

 

どう説明すれば、分かるのだろう。

 

やはりママ塾と本物の塾の先生との違いは大きい。

「自分で解けること」と「人に説明できる」ということは、

大きくレベルが違うのだ。

 

娘は理解できない苛立ちを、容赦なくぶつけてくる。

解けない問題にも、解けない自分にも、何もかもに苛立つようだ。

 

娘と離れた後、再び、深夜、娘が分かる説明を考えて寝る。

それでも、翌日同じ展開になってしまう。

 

娘が苛立つのが2回目、3回目となると私も消耗してきた。

 

ある日、娘を塾に送り出した後、私は仏壇の前で泣いていた。

やる気がある娘に、うまく説明しかできない自分が情けないし

同じ問題から抜け出せない。

あれこれ試したが、「打つ手がない」と嘆いていた。

 

「父が生きていれば教えてくれるのに。私では力不足なんだよ」と

仏壇の父に泣きながら、話していた。

 

ふと時計を見ると、2時間近く経っていた。 

「何でもいいから動かなきゃ。動かなかったらゼロだ。」

 

ようやく私は重い腰を上げた。

「頑張れ私!」

 

そう呟いて、立ち上がり、

電話に手を伸ばし、苦肉の策で、思い切って早稲アカに電話することにした。

 

後にも先にも、これほど意を決して電話をしたことはなかった。

ボタンを押す手が震えていた。 

 
 

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