不屈の闘志 -娘と私の2年間 偏差値35からの中学受験-

鬼が出るか蛇が出るか。唐突に中学受験をすることになった母と娘。偏差値35から偏差値62。紆余曲折2年間の回顧録

小5の秋から受験当日。K先生との出会いによって変わったこと。考える理科。

<K先生との理科の補習、その後のできごと>

 

月曜日は夫が迎えに行くことが多かった。

ある日夫がこう言った。

 

「あのさ、山のフドウって知ってる?」と私に聞く。

 

「え?山のフドウ?北斗の拳の話をしているの?」と聞くと

 

「そうそう!」と夫が言う。

 

「ともかく先生に懐いていてさ。ニコニコしながら出てくるの。
あんな顔、今まで見たことないよ。
山のフドウの肩に乗っている子どもを思い出すよ」

 

夫が言わんとしていることがよくわかった。


北斗の拳の山のフドウは、孤児を育てる心優しい人で、子ども達に愛され

子どもがぶら下がったり、肩に乗ったりしている。

 

K先生は早稲アカの各先生の中で、

最も優しい雰囲気をまとった先生だったかもしれない。

 

翌月からYT週テストが始まって、

その週に習った4教科を土曜日までに復習して、テストを受けるという

過酷なサイクルに入るのだが、

そのサイクルに入ってからは、尚更この時間がありがたかった。

 

日によっては、他のお子さんの質問と重なって、少ししかできない日もあったが、

それでも、この月曜日の補習は、

K先生が他校へ異動されてしまうまでの半年間ずっと続いた。

 

異動のニュースを聞いた日はショックのあまり、
先生の異動先へ転校しようかと思ったほどだ。

 

娘の人生において、理科好きの大半を固めてくださったのは、

紛れもなくK先生だと思う。

 

K先生がいらっしゃらなかったら、受験が終わって数年たった今でも
「私理科が大好き」と、胸を張って言うこともなかったろうし、

 

「ママ!理科って算数と一緒で、解けた時も楽しいね!!」と言う事も

「私理系に進みたい!」という事も

「考えるから理科が好き」という事も一切なかったと思う。

 

『暗記する理科』ではなく、
『考える理科』を楽しく思えるようになったことは、本当にありがたかった。


ここで、少し先の話、受験当日の話をする。

 

受験当日、娘の志望校の校門の前にも、各塾からの応援団が来ていた。

当日、どの先生が応援にいらっしゃるのか、親も子どもも知らされていない。

 

娘は来て欲しいと願う先生がいて、

「先生来てくれないかな。来てくれないかな」と毎日言っていたので

その先生のお顔を見つけた際には、ガッツポーズをしたらしい。

 

先生としっかりと握手をして、先生の目を見て「頑張ります」と言い、
顔を上げて前へ進むと

 

驚くべきことに、他校舎の応援団として、K先生までいらっしゃるではないか。

娘はもちろん飛び上がって喜んで、K先生と握手しに行ったそうだ。

 

「満月さん、お久しぶりですね。落ち着いて、頑張ってくださいね!」と
いつも通りの優しい口調でK先生はおっしゃり、しっかりと握手をしたらしい。

 

神様の優しさに、ありがたく涙が出た。

娘の人生を変えた早稲アカの3台先生の一人、

理科のK先生には、今でも感謝の気持ちでいっぱいだ。 

 

 

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