不屈の闘志 -娘と私の2年間 偏差値35からの中学受験-

鬼が出るか蛇が出るか。唐突に中学受験をすることになった母と娘。偏差値35から偏差値62。紆余曲折2年間の回顧録

新小6スタート。先に音を上げた私の体。娘と離れたことで気が付くこと。

<音を上げた私の体。娘と離れたことで気がついたこと>

先に音を上げたのは私の体だった。
夫が東京に戻ったと同時に、私は寝込んだ。

 

少し前から胃腸炎にかかり、体力を奪われていた。

塾弁と塾送りは母に頼むことができていたが、それ以外の時間が長かった。

これでようやくベッドに入れる。

 

週テストの勉強など、滞ることも多いが、とりあえず眠りたい。

ほとんど食事も取れていなかったので、体がフラフラし私は長いこと眠っていた。

 

結果的に、ほぼ週末丸ごと寝ていたので、2日弱娘と距離があったことになる。

こんなことは滅多にない。

 

ようやく回復してきた私はベッドの中で考えていた。

どうして娘は今頃あんな風になっているのだろうと。

 

ふと父の突然死のことを思い出した。

前日まで一緒に過ごした父は、ある晩ひっそり亡くなっており、皆パニックになった。

それでもやるべきことが沢山あり、泣いている暇もないほど慌ただしく過ごした。

 

近い身内全員の様子が最もおかしくなったのは

直後ではなく、葬儀も終わり、四十九日が終わってほっとした頃だ。

 

人から言われるまで自分では気が付いていなかった。

妊娠中の様に情緒不安定だし、何もかもが億劫に感じてやる気が出ないのだ。

 

ふと今の娘の状態と似ているのではないか?と私は考え始めた。

 

クラスアップをどうするか最終的には本人が決めた。

そしてクラスアップした。

決めたと言っても所詮10歳の子どもの決断だ。

責任を取れるほどのものではない。

 

その後、何度もクラスダウンをしたいと、娘から私は言われた。

しかしその都度「1ヶ月だけ頑張ってみよう」と私は言った。

結果として、その1ヶ月に関して娘と何度も話したが、お互いに悔いはなかった。

 

しかし、私が感じていた以上に辛い経験だったのだろう。

結局、意識を遠ざけ無気力にならなければ、

その時間をやり過ごすことができない程だったのだ。

 

ベッドでそう考えていた私は涙が出てきた。

ごめんね。もう少し早くおろしてあげれば良かったね。

いや、クラスアップをやっぱり断るべきだったね。

ごめんね。

私は少し泣いた。

 

もう小6だ。

夏までにやりたいこと、やるべきことが沢山ある。

秋から始まる過去問対策の前に、基礎を固めなければならない。

 

 まずは大至急娘の体を回復させようと決め、翌日から勉強量を大幅に減らし、しばらくスイミングも休み、早く寝かせたた。

 

そして、ここでもう一つ、私は大きな決断をした。

今後は、可能な限りストレスを発散させてあげよう。

 

今の生活の中でのストレス発散の方法は限られている。

私ができることは何だろう。しばらく私は考えた。

 

そして、私はこの日から受験が終わるまでの間、毎日1回娘を笑わせることに決めた。

同時に残り10か月、喧嘩しないことも決めたのだった。

 

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