<忘れられない日>
うってかわって明るい笑顔の責任者がやってきた。
「お母様!どうでした?お嬢さん一生懸命頑張っていたそうですね!」と白々しく言う。
先ほどの講師と授業内容の確認もしないのだろうか。
横に娘がいる。長くなるのは避けたい。しかし、娘の人生の為にも、けじめはつけておこう。
「改めてお伺いしますが、娘がこちらに通う目的を、ご理解いただいていますか」
責任者はうなずく。「もちろんです!」と言う。
「そうですか。わからない点を教えていただく為に通塾したいと、申し上げたのですが、御社では、ご対応は難しいですか。」
とても冷たく、そう聞いた。自分の声が、まるで他人の声のように聞こえた。
責任者は慌てた。「とんでもございません。うちは、個別指導です。生徒さんに合わせて個別に対応していきます」と。
「とんでもございません」か。
この期に及んで、まともな敬語も使えないことにあきれる。
「そうですか。通分ができないから、受験は無理だ、と今日の先生がおっしゃって」と私は続ける。
「え?」と責任者も驚く。
「通分ができない。それなら、ただ、通分を教えれば済む話だと思うのですが、御社では、通分も教えられないのですか」
無表情のまま、私が言う。
責任者は慌てている。授業を担当した者と話がしたい、お時間を頂きたいと。
もはや、どうでも良い話だ。1ミリの興味もない。
「申し訳ないのですが、目的もご理解いただけず、また、目的をご理解いただいたところで、ご対応いただけない場所に、時間もお金も使うことはできません。」
「今回限りでやめさせていただきます」
そう言って踵を返した。
心は怒りに満ちていたが、恐ろしく冷たい表情をしているのが、自分でもわかった。
心は怒りに満ちていたが、恐ろしく冷たい表情をしているのが、自分でもわかった。
声も荒立てず、言葉も選んだつもりだが、横を見ると娘が驚いて目を見開いていた。
こんな私を見るのは初めてだろう。
凍り付いている娘を「行こう」と促し、止めてくる責任者を無視して、エレベーターに乗り込んだ。
少し歩いて、娘に何が食べたいか聞いた。
娘は黙って、私の様子をうかがっている。
やがて、「おうどんが食べたいな」と言った。
「パパとよく行くうどん屋さんが近くにあるから、そこに行こうよ」と。
娘なりの気遣いだったのだと思う。
あの席が空いているとか、天ぷらがあるとか、さつまいも天が美味しいとか、不自然なほど娘は喋っていた。
いたたまれない気持ちで、うどんを食べた。
娘も食べ始めた。
『絶対に負けない。負けてなるものか。絶対に何とかしてやる』
『この先どれほど大変だとしても、私はこの日を忘れない。そして絶対に負けない』
火蓋が切られた。
こうして、この日、ママ塾が誕生したのであった。